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tweet:2015:1020_01

セキュリティー人材とやらについて

まくら

最近忙しすぎて、ちっともTwitterでもFaceBookでも駄文を書けなかったのだが、今日久しぶりにTwitterでちょっとした会話をしたので少し書いてみたくなった。

お題はSecurity人材というもの。もちろん、このコンテクストでは情報セキュリティを採り上げるので、物理セキュリティはあまり考慮に入ってません。

まぁ、個人的考えだし、異論反論はあると思うけど、例によって気に入らない人はスルーしてくださいな。

本文

世は「セキュリティ人材不足」とやらで姦しいわけだが、そもそも個人的には「セキュリティ人材 is なに?」的な気分なわけだ。 もっと言えば、それ以前にいわゆる「セキュリティ is なに?」という気分になるわけで。

日本は島国であって、かつ江戸時代という「外国の影響を極力排除」した上で、合衆国のような「小さな単位で分割統治」することによる「均質化」を経験してきた歴史がある。この歴史観には異論が多々あるだろうが、個人的にそう感じるわけだ。

この歴史が、「均質化の結果」としての「異物の排除」が文化として定着させたように思う。その結果としての「身近に異物がない」状態がすなわち「感覚的な安全」論(つまり「安全でないなら異物を排除すれば良い」的考え)になっているように感じる。もちろんこれはある一面から切った見方であって、当然それ以外の流れも考えもあるが、今でもこの「感覚的な安全」論が割と幅を利かせているのではないか?と思わざるをえない。

自分がセキュリティの話をする時に必ず使う説明に、Securityの元となる単語のSecureの語源の話がある。

Secure = Se-Cure = Se + Cura = (〜から)離れる(という接頭語) + 不安・心配事

つまり、Secureとは「不安や心配事から離れた状態」=「不安や心配事がない状態」が原義である。

この原義から、日本における「感覚的安全」を実装するための「異物排除」はそれがいいか悪いかは置いておいて確かにセキュリティ対策と言える。 もちろん、今のご時世、このセキュリティ実装では、対策としてはあまりにもお粗末に過ぎるのだが、自分の経験では、日本において、れがセキュリティ対策の一番目に入りやすいように思う。(単に日本以外の国の事を知らないだけです)

セキュリティ対策の話は本題ではないので、話を引き戻す。

自分が、「ゼキュリティ人材不足」という表現を見た時に思うことは、

  • セキュリティ人材と言われた時に想像するのはどういう人材だろう?
  • 不足していると言われているセキュリティ人材ってなんだろう?

ということ。そして、実はこの言葉、おそらく定義がないまま「イメージ」だけで語られているような気がする。 曰く

  • 情報システムへの攻撃を防いでくれる正義の味方
  • 情報システムへの攻撃を見つけて対応してくれるスーパーマン

じゃないか?と思うわけだ。

ぶっちゃけ、「他力本願で甘えすぎじゃない?」と思わざるをえない。

インターネットは、(ある意味)異物の集合体である。Internet = Inter-Network であり、Network間接続なのだから、そもそも定義として異物の集合とも言える。そこに、黄門様よろしく「葵の紋所」を見せれば問題が解決するだの、ウルトラマンよろしく最後は「スペシウム光線」で、などという「必殺技」や「銀の弾丸」なんてあるはずがない。

私見だが、 ;#; 「何(対象)」を、「誰(攻撃者)」から、「どのくらいの期間」、「どんな手法」で、「いくら(費用)」かけて護るか - (1) ;#; が定義されない限り、いわゆるセキュリティを実装することはできない。 この定義がないまま「規定」だけ実装している例はごまんと見ているが、そんなものはセキュリティではない。

とすると、(少なくとも自分が考える)セキュリティ人材とは、上記(1)を定義・実装できる人ではないかと思う。

翻って、いわゆる報道などで見かけるセキュリティ人材とやらは、「セキュリティ関連技術を知っている人」に矮小化されているように感じる。報道で取り上げられるようなセキュリティの専門家と言われる人は、「セキュリティ関連技術を知っている『だけ』の人」では断じてないにもかかわらず、そういう取り上げられ方がされやすいように見受けられる。 もちろん、「関連技術」は実装する際に非常に重要だし、緊急時の対処にもやはり非常に重要である。だから、セキュリティ技術がある人材はもちろん育てなければならないし増えるべきだと思うが、「セキュリティ人材不足」というコンテクストで考えるなら「そこは本質ではない」と言いたくなるわけだ。

会話中に

「セキュリティ人材という言葉でいうと発する人、受け取る人によって定義、理解も曖昧でどこまでのことを求めているのか、先ほどのどの範囲をどのようにカバーできるのかも見えてこず、足らない足らないと騒ぐだけになっちゃうのが怖いなって思います」

という発言があったが、まさにこの「騒ぐだけ」になること、そして「何が足りないのか」という場合の「何」の部分が置き去りになるのが恐ろしい。

今本当に必要なのは、「できるだけ根に近い部分」を(なんとなくでも)理解している人材なのだろうと思う。そこがあって初めて、実装できる技術者も生きるのだろうと。「排除する」だけでなく、「入り込まれても大丈夫なように対策」することや、「攻撃成功時のリターンよりも攻撃失敗時のリスクのほうが大きい」ようにすることを考えられる人材や制度が必要なのだろうなと思う。

もう一つ。やはり会話中に

「それで数年後には量産された人材がぽいっとされてしまうこととか考えると心が痛くなります。」 </note> という発言もあって、これは自分も同感するところである。

しかし、この点は実は自分は楽観している。

自分は、現時点では、セキュリティ関連技術を「現場で身につける」のは多くの人にとって難しいと思う。 それは、必要となる知識が多岐にわたるからであり、セキュリティ技術を身につける余力があるような「現場」は少ないからである。

この問題は、少し前の「プログラマが足りない」→「学校で教える」→「JAVA(等各種言語)プログラマ量産」の流れと同じだと思っている。 今、曲がりなりにもプログラマやコーダーがそこそこの人数存在しているのは、この「プログラマ量産」プログラムのおかげである。(足りているかの議論は別)

量が増大したことにより質が劣化したという話もしばしば聞くが、供給がないと今よりもさらにプログラマ不足になっていたであろうことは想像に難くない。もちろん、質の向上は永遠のテーマだが、そもそも量が提供されなければ質の向上は望めない。(量が不足していると、高品質のプログラマも時間に追われ、結果として単体あたりの品質が劣化する可能性が高い)

いうまでもないが、個人としての質が向上しないならば必ず淘汰されてしまう。ここでの議論は個人レベルの話はしていないので、為念。

セキュリティの基本を学んだ人材は量産されるべきである。というより、セキュリティの基本はすべての人が学ばなければならない。基本を理解した上で、それが正しいか間違っているかを考えるべきであって、「観念」だけでセキュリティを語られてはたまらない。

そして、セキュリティの基本を学んだ人の中から、セキュリティ技術を理解し使える人を量産しなければならない。そして、常識的に供給されなければならないと思う。

セキュリティの基本的な考え方は、(情報システムに限らず)どこでも必ず使えるものだから、セキュリティを学び、曲がりなりにも身につけた、人材は、たとえ量産型であろうとも、簡単に「ポイ捨て」されるようなことはないと、そして「ポイ捨て」されても次のチャンスはきっとあると思っている。

少なくとも、現時点(というよりこれから10年くらい?)は、ちゃんと基本的な知識を持った人材が増え、今の疲弊したITという土壌をもう一度豊かにする段階ではないかと思う。

最後に、やはり会話からの言葉で

一点集中というよりはもう少しセキュリティとそれを支えるものまでと付随した上での知識、技術を身に着けられるようにしていくことが大事なんだろうなと思います。

というのがあったが、これがおそらく最も大事なんだろうと思う。

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tweet/2015/1020_01.txt · 最終更新: 2018/05/14 13:49 (外部編集)